常に攻め続けたバルセロナ優勝の意味
サッカーのスペイン1部リーグ(リーガエスパニョーラ)の第36節で、バルセロナがレバンテと引き分け、2位のレアル・マドリードも引き分けたため、6季ぶり17回目の優勝が決まった。
サッカー:バルセロナの優勝決定 スペイン1部リーグ(毎日新聞)
WOWOWでの中継を生で見ていたけれども、ある意味で、今シーズンの中では最もバルサらしくない戦いだったかもしれない。
2時間前にキックオフのレアルが引き分けたことを知ったバルサイレブンは、「引き分けでも優勝」ということにプレッシャーを受けたのか、キックオフ直後から明らかに動きがおかしい。マジョルカとの残留争いでモチベーションも高いレバンテに先制されてしまう。
それでも後半に入るとモッタやシウヴィーニョの投入で攻めの姿勢を見せ、後半15分にコーナーキックからエトーのゴールで1−1に追いついた。
いつもと全く異なったのは、それからだ。まだ残り30分近くもあるのに、バルサはDFラインでボールを回し、時間を稼ぎ出した。レバンテもバルセロナ相手に1−1の引き分けならいいと納得したのだろう、積極的にはボールを取りに行かない。かくして後半の後半は全く試合の体をなしていないという珍しい展開になった。
とはいえ、そのなりふり構わない「時間稼ぎ」からは、バルセロナの選手、関係者の優勝への渇望感を強く感じた。6季ぶりとはいえ、前の優勝を知っているのは、当時控えだったシャビやプジョルくらいだろう。W杯で優勝したロナウジーニョや昨季のチャンピオンズリーグで優勝したデコなどを除けば、監督のライカールトをはじめ、ほとんどの選手がまだ「何も成し遂げていない」者ばかりだ。
優勝できなかったこの5季。常に優勝争いに顔を出していればまだよいが、シーズン途中から復活した昨季を除けば、低迷期だった。常にライバルであるレアルに差を付けられ、バレンシアやデポルティボにも後塵を拝した。チームの編成方針もころころ変わって、グアルディオラのような生え抜き選手も、そして一時はチームの中心だったオランダ人たちのほとんどもチームを去っていった。
そんな苦しい時間を過ごしてきた後だからこそ、チームにもサポーターにも歓喜があふれていた。優勝決定後の、選手とサポーターの喜びようは、こちらまで強く伝わってきた。
しかし今季のバルセロナの優勝に意味があるのは、6季ぶりだからというだけではない。優勝決定のこの日のゲームを除けば、リーガでも、チャンピオンズリーグでも、徹底した攻めの姿勢を堅持したからだ。単に個人が攻める意識を持つだけでなく、ロナウジーニョを筆頭とした個人技と、素早く、組織的な動きから生まれるプレッシングとパスワーク、攻めが、高度に融合していた。
もちろんすべての試合で、それがうまくいったわけではない。チャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦で戦ったチェルシーは、両サイドバックが攻め上がった後のスペースという、このチームの最大のウィークポイントを的確につき、バルサから大量点を奪った。直後のクラシコでレアルがバルサに勝ったのも、チェルシーの戦い方を参考にしたのだろう。
ただ大事なのは、それでも彼らが攻め続ける姿勢を失わなかったことだ。フットボールは、少なくとも一方のチームが果敢に攻めてこそ、名勝負が生まれる。チャンピオンズリーグの準決勝のセカンドレグ、PSVアイントホーフェン対ACミランのゲームがあれほどの名勝負になったのは、PSVが攻め続けたからだ。
だがPSVがすべてのゲームで、ああした戦い方をしてきたわけではない。セカンドレグでの戦いは、ファーストレグで、0−2というスコアで負けたからこそ、採った戦い方とも言える。
バルサがすごいのは、シーズンを通して、攻め続ける姿勢を貫いたことだ。バルサが消えてからのチャンピオンズリーグが、高度で面白いゲームでありながらも、最後のところで華がないように思ってしまうのは、バルサのように常に攻め続ける姿勢を持ったチームがないからだろう。
バルサのようなチームの優勝は、世界のサッカーを面白くする。来季こそ、チャンピオンズリーグでも結果も、残してもらいたいものだ。